Tommy Kaira History
−すべては”夢”の実現のために−




見果てぬ夢

トミーカイラの歴史は意外なほど永い。
このプロジェクトの端緒は昭和42年(1967)にまでさかのぼる。

冨田義一(現トミタ夢工場社長)はそれまで勤めていた日産系のディーラーで培った知識を基に独立。
(株)トミタオートを設立し、外車の輸入販売を手掛け始める。
彼は自分の将来をしっかりと見据え、夢の実現のためにその生き方を決めていた。
彼には少年の頃から一つの夢があったのだ。
「いつかきっと自分のクルマを作りたい。世界中のどこにもない自分だけのオリジナルカーを。」
トミーカイラプロジェクトの始まりである。

若き実業家となった冨田氏は、当時まだ日本では稀少だったヨーロッパ各国のスポーツカーを積極的に輸入する。
これはこの先自分が生み出すであろうオリジナルカーの礎としてにらんでのことだったに違いない。
また日本で初めてチューンドコンプリートカーのAMGを紹介したのも、トミタオートであった。そしてあのスーパーカー
ブームの火付け役としても功績が大きい。事実、現在でもトミーカイラの生み出すクルマにはこうしたクルマの影響が
色濃く表われている。トミーカイラのクルマは全てデザインや走りに多分にヨーロッパのテイストが盛り込まれている
ように思われるのだ。

トミタオートは、スポーツカーやハイポテンシャルセダンの中から一台一台をユーザーの立場に立って、
納得のいくクルマだけを提供するという姿勢を貫いて着実に業績を伸ばしていく。
このクルマに対する真摯な態度は今も変わることなく厳然と受け継がれているのが嬉しい。



二人の男の出会いが全ての始まりだった

昭和59年(1984)、転機が訪れる。
現トミタ夢工場の副社長、解良喜久雄(かいらきくお)氏との出会いである。
当時すでにF1の名メカニックとして名声をはせていた彼も「自分のクルマを作りたい」という夢があった。
F1という限られたフィールドで、限られた者のためだけに作るクルマではなく、
より多くの人が乗るクルマを手掛けたいという気持ちが芽生えていたのである。
この同じ情熱を持った二人の男はこの年、運命的な出会いをする。伝説の始まりである。
トミーカイラ」というブランド名は、言うまでもなくこの二人の名を冠したものである。

出会った後の二人の行動は速かった。
オリジナルカー製作の目的のための第一歩はチューニング・コンプリートカー製作だった。
以後、エクステリア及びインテリアのデザインは冨田氏が担当し、メカニカルな部分は解良氏が担当することになる。



チューニングカープロジェクト始動!

チューニングカープロジェクトは早くも昭和60年(1985)年に始動している。
また、翌61年(1986)には、京都の金閣寺のほど近くに本社を移転する。
現在もトミーカイラの拠点は東京ではなく、京都である。
この京都という土地柄が彼らに与えた影響は少なくないように思える。
チューニングカーにありがちな、ある種下品さがトミーカイラには希薄なのだ。
デザインにしろ、その走りにしろ、洗練されスマートなのである。これがトミーカイラの他にはない魅力かもしれない。

さて、ついに翌年の昭和62年(1987)にはメルセデスベンツ190Eをファインチューンしたフラッグシップモデル、
「M19」を発表する。

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